スマホ音声ガイド導入事例~WHAT『-Inside the Collector’s Vault, vol.1-解き放たれたコレクション』展~

「アートになる島、ハートのある街」

1980年代後半に始まった再開発を経て、劇場やイベントスペース、そしてアートギャラリーまで充実している天王洲アイルは、今や東京でも最先端をいく街のひとつとなっています。

そんな天王洲アイルに2020年12月、新たなミュージアムが誕生しました。それが、現代アートのコレクターズミュージアム WHAT です。

このWHATは、これまで美術品の保管・輸送・修復・デジタイズなどを手掛けてきた寺田倉庫が、コレクターからお預かりし、保管する貴重なアート作品を公開し、その価値と魅力を広く開花させることを目的とした芸術文化発信施設であり、同社の天王洲エリアをより魅力的なアートシティとして盛り上げようというプロジェクトのフラッグシップとしても位置づけられています。

今回はそのWHATのオープニング展覧会『-Inside the Collector’s Vault, vol.1-解き放たれたコレクション』展に導入されているスマホ音声ガイドについて、企画担当の中橋アレキサンダー様にお話しを伺うことができました。

それぞれ意思・意図があってコレクションをされている。その声を届けたい

寺田倉庫_スマホ音声ガイド

今回の『-Inside the Collector’s Vault, vol.1-解き放たれたコレクション』展は2人の現代アートコレクターのコレクションより約70点が展示されている展覧会です。

チラシの案内文にも「作品の魅力やコレクションしたきっかけをコレクター自身の言葉でお伝えします」とある通り、企画当初から“コレクター”という存在にフォーカスして準備は進められたといいます。

実際に現地へ行ってみると、パンフレットやパネル・音声ガイドのいずれにも学術的な解説などはなく、代わりにコレクター両氏の作品に対する思いや作品との出会い、人生の中で果たした役割などが「あれは私が〇〇していたころ~」とエピソードを交えながら紹介されています。この展示演出はとても新鮮なものでした。

作品や作家の来歴、学術的な解説などはもちろん有用ですが、それらはいわば作品を理解する為の付属情報(=知識)の提供であるように思います。それによって新たな視点を得たりもしますが、鑑賞にあたっては「自分と作品」という単位に変わりはありません。
それに対し、今回のコレクター両氏が提供してくれている言葉(=感性)はどうでしょうか。
彼らの感性を透かして作品を見てみたり、自分の感性と比較したり、彼らの人生において作品が果たした役割を自分の人生においては何と置き換えることができるのか考えてみたり。1つの作品から得られる鑑賞体験がより複雑で拡張性のあるものになったと感じられます。
これまで体験したことのない楽しみ方に出会えたようで、新鮮で大変豊かな時間を過ごさせてもらったように思います。

さて、それではこの『-Inside the Collector’s Vault, vol.1-解き放たれたコレクション』展においてどのような音声ガイドが導入されたのかを見ていきましょう。

コレクターの声で語る音声ガイド

寺田倉庫_音声ガイド

展示会場は高橋龍太郎氏と匿名のA氏の作品によって2つのエリアにて構成されており、音声ガイドもそれに合わせて大きく2つに分かれています。

音声ガイドは必ずしも個々の作品に対するガイドとはなっておらず、グループ分けされた作品群に対してコレクター氏が語るという構成となっているところも本会の特色といえるかもしれません。コレクター氏の言葉と作品とが並列に展示されているようで、この点も面白く感じられました。

本会のコンセプトの一つが「コレクター自身の言葉で伝える」であることもあり、音声ガイドの制作も企画のスタートとほぼ同時だったそうです。

高橋龍太郎コレクションの音声ガイド原稿は高橋氏自身による書き下ろし、そしてナレーションも高橋氏自身がスタジオに入って収録されたというから驚きです。 A氏コレクションの音声ガイドは原稿をWHATスタッフがA氏へインタビューしたものをまとめる形で制作されました。ナレーション収録もとA氏へお願いしたところ、面白がってはいただけたものの匿名性を理由にそちらは残念ながら辞退されたとのこと。しかしナレーターの選定から読み方のディレクションまでA氏ご本人の雰囲気を踏まえて制作されたといいます。

プロの技術か、本物の存在感か

寺田倉庫_音声ガイド

この“生の声”を活かす演出は、なかなか勇気のいる選択です。

時々、動物園や水族館の飼育員や観光地の現地ガイドを起用した演出を見かけますが、この手の企画はアイデアとしてはよく挙がるものの実際に形になることはあまり多くないようです。それは制作の過程で聴き易さ・伝わり易さといった観点から最終的にプロの話し手へ変更されることが多いからのようです。

当然ですが、アナウンサーやナレーターなどを起用した方がより聴き易く・分かり易い、多くの人に伝わる音声ガイドになります。しかし、その場合に“伝わる”要素の大部分が情報(=知識)であることを見落としてはいけません。
その音声ガイドが伝えたいものが単に知識ではなく、それ以外の現場の空気感や温度、人の想いや熱量といった言語化できないもの(=感性)だった場合、果たしてプロの起用はベストな選択といえるでしょうか。
そういった場面において、しばしば本物の持つ存在感はプロの技量を超え、感性を純度高く伝えることができるのです。

それでは改めて本会の音声ガイド、特にご自身が収録に臨まれた高橋氏のケースはどうでしょうか。
プロのナレーションと比較すれば、一語一語の明瞭さやテンポ・抑揚などといった点で聴き易いとは言えないでしょう。しかし、本物が持つ説得力と存在感は聴く者の耳を十分に引き付けて、また声から伝わるご本人の人柄や想いがコレクションの鑑賞の楽しみを一層深めてくれます。
これは「コレクター自身の言葉で伝える」という本会のコンセプトと見事に合致しており、“本物の声”を選択した音声ガイド、その好事例といえるのではないでしょうか。

音声ガイド制作にあたっての工夫

what音声ガイド

工夫その① 翻訳はニュアンスまで調整

今回の音声ガイドは日本語の他に英語版も用意されています。
こちらは全編英語ナレーターが担当していますが、その英訳にあたっても注意深く推敲が重ねられました。

というのも美術館の音声ガイド自体、その英訳は専門用語も多く通常の英訳よりも難易度が高いことが多いのですが、今回はコレクターの思いが要となる為、単なる英訳に留まらず、言い回しやニュアンスなどもコレクター氏と作品・作家・ギャラリーとの関係性を踏まえた上で細かく調整を繰り返されたそうです。

工夫その② 2次元コードはしっかりと、さりげなく

また、今回の音声ガイドはブラウザ型で音声ガイドへのアクセスには2次元コードが採用されていましたが、この設置についても工夫があったといいます。このコードはパンフレットへの印刷の他、会場内に5か所に展開されていました。

会場入り口の音声ガイドトップページへリンクする2次元コードは、コレクター自身が語る旨の説明文も入れて少し大き目に作り、入場からパンフレットを手に取るまでの視線の動線上に配置されることによって音声ガイドが導入されていることを的確にアピールしています。

残りの4つは音声ガイド各エリアページへダイレクトに繋がるもの。これを各エリアの壁面へ展開していましたが、こちらは入り口のものと比べて小さく、また説明文を省いてよりシンプルになっています。
こちらは作品鑑賞・展示演出の邪魔にならず、しかも読み取りにくくならないサイズをと、テストを重ね確かめつつ制作されたとのことでした。また設置位置についてもスマートホンを利用する都合上、来場者が作品を撮影していると誤解されないようにという点までも考慮し選ばれたそうです。

実際に館内を歩いてみたところ、2次元コードはさりげなく目に入る位置と高さあり、見落としにくい。このあたりの空間演出の計算はさすが美術館と納得させられるものでした。

新たな音声ガイドへの宿題

what_音声ガイド

取材の中で、音声ガイド制作を通して気付かれた点やこんな音声ガイドがあったらといったご意見を伺ったところ、「館内マップを取り込んで、個々の作品と音声ガイドの位置が連動した機能があると良いのではないだろうか」というお話に。

現在の音声ガイドはその多くが順路毎に並んでおり、項番や画像によって作品と音声ガイドを照らし合わせる方法をとっており、その作品や音声ガイドが施設内のどこにあるのかという確認の為には別途マップを利用して調べるようなものとなっていますが、これらを1つにまとめ、作品・音声ガイド・マップのいずれからでも双方向にアクセスできれば使い勝手が良いのでは?という発想です。

実はこの発想、音声ガイド業界が今まさに手掛けようとしている新しい音声ガイドの展開方法の1つとして研究・開発した機能だったのです。
このアイデアのように、スマートホンの普及によりパンフレットやマップ、音声ガイドなど様々なガイドコンテンツを1つに集約する流れは始まっていますが、集約による容量の膨張や既存の媒体との兼ね合い、開発コストや収益性の壁は少なからずあるかもしれません。

また今回の取材では「画像認識を活用した音声ガイド再生機能」のアイデアも伺えました。
これは2次元コードではなく、作品をスマートホンのカメラで映し、画像認証によって該当する音声ガイドが再生されるとよいのではという発想で、スマホ音声ガイドに慣れた筆者には目から鱗でした。

2次元コードが無くなることによって展示スペースなどの空間演出もよりすっきりしますし、展開の為の印刷物なども必要なくなります。またなにより、画像認証機能による音声ガイドを使ってみたくなります。
美術品などは著作権などの兼ね合いもあり難しそうだとのご意見もいただきましたが、画像認証技術の一般化もどんどん進んでいますので、こちらも近い将来お目にかかることが出来そうな気がします。
音声ガイドの新たな形を想像してワクワクさせていただいた取材となりました。

まとめ

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筆者は今回の取材を通して、コレクション展の新たな楽しみ方や生の声を活かした音声ガイドの魅力、そして音声ガイドの将来の可能性について見ることができました。

これまでにあまり表に出てくることの無かった作品やコレクターの思い、珍しいコンセプトによる展示演出に触れることで、読者の皆様にもなにか新しい発見が生まれるかもしれません。

様々な可能性が詰まったWHATの展覧会『-Inside the Collector’s Vault, vol.1-解き放たれたコレクション 』展、一度足を運ばれてみてはいかがでしょうか。